朝鮮学校出身者の全貌とは? | 6人の有名人の活躍も紹介

朝鮮学校とは、在日朝鮮人出身者のための学校です。日本に朝鮮学校があることは多くの人が知っていますが、その卒業生にどのような人がいるかを知っている人は圧倒的に少ないのではないでしょうか。この教育機関をよりよく理解するために、朝鮮学校とその文化や社会における役割、そして朝鮮学校を母校とする在日朝鮮の人々について詳しく見ていくことにします。

朝鮮学校と教育

ここでは朝鮮学校と教育について解説していきます。

朝鮮学校とはどのようなところ?

朝鮮学校は、第二次世界大戦後、日本に残った朝鮮人により設立されました。設立当時は、「帰国」を目標に設立されています。しかし、現在、在日3世、4世が帰国を前提に朝鮮学校に入学することはありません。

日本に永住することを前提に入学しているのです。日本の法律では、学校教育法において、朝鮮学校は「法律に定める学校」に該当しないのです。

したがって、日本の高校に相当する朝鮮高校(朝鮮学園高等学校)を修了しても、日本の大学受験資格はない。つまり、高卒として認められないのです。

そのため、在日朝鮮人は、これらの教育機関を日本政府が完全に承認し、保証するべきだと主張しています。

朝鮮学校で学ぶこと

朝鮮学校の教育の中心は「民族教育」「民族学校」であり、朝鮮の歴史、地理、朝鮮語を中心に学びます。朝鮮学校では、生徒や教員を対象とした「日本語教育」以外、日本語の使用は禁止されています。

基本的には、母国語である韓国語が中心となっています。また、朝鮮学校では、北朝鮮の発展や金正日の思想を賛美する教科書「朝鮮近代史」を使用しているため、朝鮮学校の教育が「反日教育」と批判されることもあります。

yahooのコメント欄でもメジャーな話題になる事が多いです。教室には故金日成主席や故金正日総書記の肖像画が飾られているそうです。

朝鮮学校出身の有名人

ここからは朝鮮学校出身の有名人について紹介していきます。

ちすん

ドラマや舞台、映画などで活躍する女優、ちすん。朝鮮学校「大阪朝鮮高級学校」に在学中、クラシックバレエの舞台を観た吉本興業にスカウトされ、劇団「吉本ザ・ブロードキャスト」に所属。

その後、芸能界入りの大きなきっかけとなった劇団「吉本ザ・ブロードキャスト」に入団しました。

その後特撮ドラマ『超星神グランセイザー』(2003年)でドラマデビュー、『パッチギ!』(2005年)で映画デビューを果たします。在日朝鮮人に焦点を当てた作品で、ちすんはそのような企画に参加することに興奮しつつも、さまざまな葛藤や悩みを抱えていました。

その後、NHK朝の連続テレビ小説「風のハルカ」(2005年)で深田篤子役を演じ、NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」にも出演。

以後、女優として素晴らしい歩みを続け、映画や舞台を中心に活躍しています。

裵ジョンミョン

日本映画学校演技科卒業。朝鮮学校は広島朝鮮初級学校であり、幼少の頃からの長年の演技への思いがここにあります。

ビー・バップ・ハイスクール」(2004年)でエキストラとしてデビュー。

ドラマでは『勇者ヨシヒコと悪霊の鍵』のタシスン役で、コメディエンヌとしての才能とエネルギー、そして世界的スーパースターであるブラッドリー・クーパーにそっくりであることを見せつけました。

その後、「マクドナルド」(2008年)、「サントリー」(2012年)など、数々のCMに起用され、そのスター性が注目されるようになりました。

様々なテレビドラマや映画に出演した後、映画、特に『冷たい熱帯魚』(2011)、『地獄でなぜ悪い』(2013)など園子温監督の作品で本領を発揮するようになりました。

ソニン

ソニンは、グループ「EE JUMP」でデビューし、歌手としてのキャリアをスタートさせました。

ソニンの韓国学校は、神戸朝鮮初中級学校と神戸朝鮮高級学校です。

「EE JUMP」でデビュー後、後藤真希の弟であるユキとユニットを結成しますが、2002年にユキの失踪や未成年バーへの出入りなどがスキャンダルとして報じられ、ユニットは解散となってしまいます。

その後、「高校教師」(2003年)でドラマデビューし、ドラマアカデミー賞新人俳優賞を受賞し、女優として活躍するきっかけとなります。

韓国でも韓国SBSドラマ「天国の木」(2006年)に出演し、テレビドラマデビューを果たしました。その後、次のステップに進むためにニューヨークに渡り、1年半ほど演劇を学びます。世界有数の劇場で学び、演技とパフォーミングを融合させた独自の技術を身につけました。

その後、日本に帰国したソニンは、世界的なスーパースターとしてキャリアを積み、その存在感を示すために努力を重ねています。

映画や舞台で小さな役を演じるうちに、彼女のキャリアは徐々に形づくられていきました。

鄭大世

現Jリーガー(FC町田ゼルビア)、鄭大世。朝鮮学校は「愛知朝鮮第二初級学校」。

その後、朝鮮大学校の運動部に入学し、サッカー部時代にはJリーグの複数のクラブに練習生として参加し、プロサッカー選手を目指していました。その努力が実り、川崎フロンターレから入団を打診されます。

2007年、北朝鮮代表に選出され、東アジアサッカー選手権大会の予選に参加。3試合で8得点を挙げ、得点王に輝くなど、その才能と実力を見せつけました。その活躍が評価され、ドイツ2部リーグのVflボーフムへ移籍し、初めてヨーロッパでのプレーを経験しました。

ドイツでの活躍はすぐに上位リーグから注目され、ケルンへ移籍し、ブンデスリーガのトップスコアラーの一人となりました。ドイツで3シーズンを過ごした後、鄭大世はKリーグ(韓国)の水原三星ブルーウィングスに移籍、2015年に日本に帰国し、清水エスパルスに加入しました。

当初は競争の激しいJリーグで苦戦したが、すぐにパフォーマンスが向上し、J2のFC町田ゼルビアに移籍した。現在、Jリーグ昇格を争う町田ゼルビアでは、彼の加入が功を奏しています。

李忠成

元日本代表、現Jリーガー(京都パープルサンガ)の李忠成さんは、在日コリアンとして東京朝鮮第九初級学校に通っていました。

2004年、都立田無高校入学と同時にFC東京ユースに入団し、同年にトップチームへ昇格。2005年、柏レイソルに移籍し、U-22日本代表に選出され、日本代表の一員として同年北京オリンピック出場を目指します。

その後、サンフレッチェ広島に移籍し、その潜在能力を認められ、AFCアジアカップ2011に出場する機会を得ました。決勝戦のオーストラリア戦ではボレーシュートで決勝点を挙げ、その活躍ぶりが評価されています。

日本での活躍後、サウサンプトン(イングランド)に移籍し、その後J2の京都パープルサンガに復帰しました。李忠成は、多くの日本の若手サッカー選手のロールモデルとなり、彼らに多くの刺激を与えています。

朴一圭

現Jリーガーの朴一圭は、東京朝鮮中高級学校を経て、朝鮮大学校に進学しました。JFLの藤枝MYFCでキャリアをスタートさせ、2016年にJ3リーグのFC琉球に移籍し、チームの一員として定着しました。

2018年にはチームのJ1リーグ昇格の成功に貢献し、その成功を受けて2019年に横浜F・マリノスへ移籍しています。J1リーグで安定した成績を残し、タイトルを獲得したチームの中心選手の一人となり、その輝かしい能力と多大な影響力から優秀選手賞に選ばれるまでになっています。

その後、横浜F・マリノスからサガン鳥栖に移籍し、Jリーグで活躍。移籍以来、素晴らしいパフォーマンスでその名を轟かせ、今後もその勢いは衰えることはないでしょう。

朝鮮学校出身者の全貌とは? | 6人の有名人の活躍も紹介【まとめ】

今回は、朝鮮学校出身の有名人や、朝鮮学校とはどんなところなのかについて解説しました。東京都では小平市、大阪府では大阪市に朝鮮学校がありますが、国籍は違えど、在日朝鮮人と日本人は同じ日本に住んでいます。

この記事をきっかけに、お互いをより深く理解することができればと思います。日本には多文化共生の素晴らしい物語がたくさんあり、その多くは学校や教育の場に根ざしています。

学校環境をより包括的なものにすることで、教師も生徒も互いの文化をよりよく理解し、その類似点と相違点を同様に評価する機会を得ることができます。

異文化の価値観、習慣、歴史を理解することで、お互いを尊重し、理解する雰囲気が醸成されます。最終的には、誰もが受け入れられ、尊敬される、より良い日本、より良い世界を作ることができるようになるのです。